筆者の詳しすぎるプロフィールと2020年の目標を書いてみた。

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自分が中学生の時に書いた夢。卒業文集に書いた夢を友達がカナダ移住した当初、私に送ってくれました。『すげえな』と。

日本の実家にモノはほとんどなく、小さなケロッピのキャリーケースにまとめてあり、それのみなので卒業文集はとっくの昔に手放していて、自分が書いたことなんて覚えているはずがありませんでした。

しかし、友達の送ってくれた卒業文集の私の夢は

  • 海外に住む
  • 美容師になる

でした。どちらも叶っているし、継続中です。

15年以上前に書いた私の夢が、叶っていると知ったら当時の自分は

驚くだろうか?

尊敬するだろうか?

自国ではない国に住み、英語で毎日接客をしてお客様を綺麗にし喜んでもらえる美容師という仕事をしている現在を、田舎の片隅で海外に住むことを夢見ていたGirlは誇りに思うだろう。と考えずにはいられません。

  • 夢の海外在住(カナダ在住)
  • 夢の国際結婚(カナダ人のパートナー)
  • 持ち家住み(素敵で大好きなお家です)
  • 美容師の仕事を続けている(10年間)
  • 可愛い・愛してやまない愛犬と暮らしている

ここまで来るのに同じような条件でも簡単だったという人もいるかもしれませんが、

私はかなり時間がかかりました。(簡単そうに見えているだけで、人それぞれ苦労や悩みはありますよね)

自分の人生は昔から遠回りする人生でしたが最終的に夢を叶えているので、問題なしです。(たまに努力の方向を間違えます)

今はKeep goingというような感じです。

自分の人生を振り返りつつ、誰かの希望ややる気になれば幸いと思い(自分の為かもしれません)詳しすぎるプロフィールを書いていきます。

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1度、英語学習と海外生活を諦めた転機

小学6年生で英検三級を取り、英検二級に挑戦しますが、落ちました。(当時英検二級には面接があったような気がしますが、それのせいです。笑)

英語に興味を持ち始めた正確な時期は覚えていませんが、小学生高学年から中学生3年生までは英語・海外生活にかなり夢を抱き、そして夢中になりました。

海外一流雑誌、パリコレ雑誌。海外ドラマなどにも夢中になりました。

英語にかなり夢中で海外に住むことを信じてやまなかったこの時期。どこの高校に入学をするのか決める時期。もちろん私は英語科のある高校へ進むものだと信じてやまなかった。

家庭の事情か、父が単にその高校へ進学させたくなかったかは分からないが

『英語の勉強をして、なんになる?』と言われたことは一生忘れない。

そして納得させられるような回答が出来なかった私は、単に英語が好きで学びたいというだけではその高校に進学させてもらえることはなかった。

小さな田舎町で英語を使う環境など全くなく15年以上前のことだ。英語を勉強する理由なんて今の時代よりは明確に説明など出来なかったし、分かってももらえなかっただろう。

そして、商業高校へ。そこでバレーボールと出会う。

1度ハマったらとことん極めるというのが当時の私の性格でして、まあ次はバレーボールにドはまりました。

  • 耳を出した超ショートヘア
  • 放課後の部活の為に昼寝も少々←
  • 授業中にバレーボールの本を読むことも少々←
  • バレーボールではキャプテンを務め

周りが恋だの化粧だのバイトだのキャピキャピしている時にもひたすらバレーボールのことを考え勉強し精神を筋肉を鍛えていました。(現代なら大変な問題になっているであろう暴力教師の元で。キックは日常茶飯事)

そして、大学への進学にはさらさら興味がなくバレーボールを続けるには自衛隊に入隊するしかないという結果に至りましたが(極端)、今度は母がそれを阻止します。

美容の専門学校へ行けと。

美容専門学校へ入学

何の苦労もせずに入学した高校(推薦制度があり学校に推薦された学生は面接のみ)と同様、専門学校も何の苦労もせずに面接のみで合格です。(同じ推薦制度)

はじめは、自衛隊に入隊出来なかった・バレーボールを辞めざるを得なかったという理由でふてくされで全然興味を持てなかった授業でしたが

『ちょ、まてよ。美容師は技術を追求する終わりなき、ゴールなどはない、一生自分を高め技術を極めることが出来る最高の職業じゃねーか

と気付いてからは腱鞘炎になるまでワインディング(パーマを巻く)練習、持ち前の努力で美容の勉強が楽しくなり、ひたすら勉強と努力をし、本気で遊びもしました。

バイト先は、美容学生には似合わないホームセンターです。(暗めの髪色必須)

ちょいとダサめで、今思い出すと恥ずかしいですが当時は一生懸命、肥料や木材などの勉強もしていました(ぷぷぷ)

 

美容師免許も無事に取得し、いよいよ花の都大東京ブラック企業へまっしぐらです。

花の都大東京ブラック企業時代

希望と期待に胸を大爆発させていざ入社。

そこはブラックいや漆黒企業でした。

この記事の後半に漆黒企業の詳細が書いてありますので、興味のある方は是非。

簡単に説明しますと

  • 早朝から終電まで(働くand 練習)
  • 休みが週1(たまの休みも会議で潰される時が有)
  • 給料が生活ギリギリ
  • ビラ配りに対する情熱が半端なく1日中外にいることも(今でも力を入れているのか気になる。このご時世に…)
  • 遊ぶ時間が取れないため寝ないで遊ぶ(会社関係ない自己責任です)

簡単に説明するとこんな感じです。有り難いことに人間関係は最高でした。しゃっす。

が、いよいよ限界を迎え(主にビラ配りに)、退職を決意し次の職場へ。

転職活動の為、美容師派遣会社に登録。マッチングした港区のサロンはビックリする程、以前の漆黒企業に酷似していて、涙が出ました。なぜ引き寄せる…

このサロンを辞退し、派遣美容師として東京中を駆け巡る。色んなサロンをみることが出来てとても貴重な体験でした。

そして、所属していた派遣会社は通さず自分で見つけたヘアサロンへ入社。

180度違うヘアサロンでオーガニックの商品を取り扱っていたので、このサロンのコンセプトがお気に入りでした。

アメリカ留学を決意

働く時間が以前より短くなったことで、心身共に余裕ができた私は

自分の本当の夢とは何か???を考えるようになりました。

そして、長年の夢だったアメリカへ留学することになります。

詳しい内容はこちらの記事に記載していますので、興味のある方は是非こちらをお読み下せえ

日本に帰国

アメリカから帰国後、燃え尽き症候群になりまして鬱の手前までいった気がします。

  • 起き上がれない
  • 何にも興味が湧かない
  • 生きている意味が分からない
  • 食べたくない
  • 辛い辛い辛い...

このような状態になった理由として

  • Wワーク(睡眠は2時間程度)
  • 無理な運動や食事制限
  • お酒
  • 過度のストレス

が挙げられます。この時期は地獄でしたね。

こちらの記事を実践し、回復を果たします。

復活を果たした私はカナダ人の彼(現旦那)に出会います。

カナダへ移住

2018年3月2日にカナダへ移住を果たします

ワーキングホリデーが最初のビザステータスになります。

その後観光ビザ、コモンロービザの申請。永住権の認可待ちです。永住権取得しました。

現在はカナダで美容師をしていますが、労働環境が酷いので今年は圧倒的な努力で劇的に人生を変える1年にしたいと思います(2020年1月1日)

現在の職場のスペック(職場というか、マネージャーのスペック)

  • 基本動かない(ほぼ座っている)
  • お客様の前で平気で飯を食らう
  • お客様の前でゴシップ話をする
  • 定時の2時間前に私を1人残し帰宅する(私を早めに帰宅させることは、ほぼない)
  • 自分の都合最優先でスケジュールを組む
  • 自分が1人で店に立つことはない(基本誰かと一緒)のに、私達には1人で店に立たせる(接客・電話対応・物販販売を一人で対応)

私がこの会社で誰よりも働いている現実がばかばかしくなり、

もっとモチベーションの高いヘアサロンに転職します。

あとは、ブログ収入5万円を目指す・You Tubeを始めます。

劇的な1年になるでしょう!みてろよ未来!あなたは過去の私に感謝せずにはいられないぜ!

ではまた

See You Soon

 

 

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